「Left Alone」第82章(2/2) | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 
 割れるような痛みが鈍い疼き程度までに治まるのに三〇分近くかかった。
 左膝は関節部分がまるでソフトボールのように腫れあがっていて、そこだけが異様に熱を持っている。道場で他人の怪我を見てきた経験からするとおそらく靭帯損傷だろう。最悪の場合、部分断裂くらいはしているかもしれない。
 複雑骨折していてもおかしくない喰らい方だったことを思えば軽傷と言えなくもない。だが、これで漠然と考えていた自力で助けを呼びに行くプランは潰えてしまった。
「真奈ぁ……」
「……ん?」
 ハルが立ち去った後、呻き続けるアタシに向かって、由真の心配そうな声音と心配そうな気配がずっと注がれ続けていた。応えてあげたいのはやまやまなのだが、生憎そんな余裕はなかった。動けないので彼女の方を振り向くこともできない。
「ゴメンね」
「……何が?」
「あたしが捕まったりしたから……」
「馬鹿ね、あんたが悪い訳じゃないでしょ。それより、頼んだことしてくれた?」
「うん。缶のふたは全部開けてあるよ」
 アタシが頼んだのは飲み水代わりに置いていかれた発泡酒の気を抜いてしまうことだった。完全にアルコールを飛ばしてしまうのは無理でも身体への負担を軽くすることは出来る。この世に気が抜けたぬるいビールほど美味しくないものもそうないが、今は命の方が優先だ。
 膝を動かさないようにしっかり抱え込んでから、アタシはゆっくりと仰向けになった。歯を食い縛って曲げていた膝を伸ばしていく。
「……痛ッ!」
「真奈!」
「……大丈夫。ところでさ、ちょっと確かめてほしいことあるんだけど」
 アタシはカーゴパンツの中に手を突っ込み、GPS発信機を取り出した。由真は目を丸くした。
「どうしたの、これ?」
「ごめん、勝手に借りた。連れてかれた場所を知らせようと思ってね。でも……どうもうまくいってないみたいなの。ひょっとしたら、壊れたんじゃないかと思って」
 アタシは自分が拉致されたときの経緯を説明した。由真の顔がみるみる心配そうに歪んでいく。
「そんなの喰らって大丈夫なの!?」
「アタシはね。でも――」
 由真は発信機に視線を落とした。
「多分、回路が焼けちゃってる。真奈の言うとおり、スタンガンの放電でショートしちゃったんだろうね」
「やっぱり……」
 命綱はあの時点でプッツリ切れていた訳だ。
 今頃、上社はどうしているのだろう。連絡が途絶えたことは分かっている筈だから何らかの手を打ってくれてはいると思う。しかし、最後の位置情報メールが天神地下街からでなかった場合、アタシが拉致されたという事実を把握することも困難だ。
 万事休す、か。
「……ごめんね」
 今度はアタシが謝る番だった。
「何が?」
「助けに来たつもりだったのに、それどころじゃないんだもん」
「そんな――あたしは真奈が来てくれただけで嬉しいよ。だって――」
 由真はそこで口ごもった。
「だって……何?」
「だって、あたし、真奈にあんなことしちゃったのに」
「……?」
 はて、アタシは由真に何をされただろうか。
 バツが悪そうにアタシの目を覗き込んでくる由真と目を合わせた。自分の忘れっぽさと単純さに思わず吹き出しそうになった。
「……そういえば、アタシとあんたってライバルだったんだよね」
「ちょっと、忘れてたの!?」
「うん。まったく」
「もう……真奈ってば」
「それとこれとは話が別でしょ?」
「そうかもしれないけど。でもさ、今度ばかりはいくら真奈でも助けに来てくれないかもって思ってた」
「どうして?」
「だって……あたしがいなくなったら、真奈にとってはラッキーじゃない」
 アタシは答えなかった。
 由真がいったことは普段の――つまり、好調な時のアタシだったら即座に食ってかかるような内容だった。アタシはそれが悲願だったとしても、自分の目的のために誰かの転落を望んだりしないからだ。父からも、そして幼い時に死んだ母からもそういう教育を受けてきた。
 しかし、由真に対して面と向かって反論するだけの気力はなかった。だから、アタシは違うことを言った。
「そっか、そういう手もあったな」
「えっ?」
 由真がきょとんとした顔を向けた。
「あんたが脱落してくれたら、アタシの邪魔をする人間はいないんだもんね。まあ、告白してうまくいくかどうかは恭吾の気持ち次第なとこがあるけど、少なくとも、あんたとあいつが結ばれたところを見ずには済むかな」
「……真奈」
「でもね。それ、多分ムリだから。そうやって、自分の為にあんたを見捨てて追い落として。そんなんであいつの前に立っても、あいつはアタシを選んではくれない。誇りとか美学とか、あの男、そういうとこ拘るのよね」
「村上さんが本心では真奈のことが好きだったとしても?」
「どうだか分かんないけど、そうだったとしても。むしろ、そうだったら余計にアタシのこと、許してくれないんじゃないかな」
「ふうん……」
 由真はそれっきり押し黙ってしまった。
 自分から続けるような話ではなかったのでアタシも黙った。どちらも会話の糸口を見つけられずに手さぐりしているような空気が流れた。
 我慢できずに何か違う話でもしようかと思った時、由真が口を開いた。
「真奈ってさ、村上さんのこと、ホントに好きなんだね」
「は?」
 思わず訊き返した。
「どういう意味?」
「言ったとおりだけど。違うの?」
「……いや、違わないけど。っていうか、それをハッキリ口にするの、ちょっと恥ずかしいんだけど?」
「照れてる?」
「ば、馬鹿言ってんじゃないの。……それより何よ、今さら」
「ううん、やっと真奈の本音が聞けたような気がしてさ。何度か、ホントは村上さんのこと好きって聞かされたけど、どうも、何とかごまかそうとしてる言い訳っぽかったし」
「そんな――」
 今度は反論しようとした。しかし、思い返せばアタシに反論の材料などなかった。
 村上恭吾のことを本気で意識し出したのがいつだったか。あれは前の彼氏と別れた直後、あるきっかけで知り合った東京の高校生に言われた言葉がきっかけだった。
 
 
「真奈ちゃんこそ、好きな人がいるんじゃないのか?」 
 彼はアタシにそう言った。
 しかし、アタシが村上恭吾という男に抱いていたのは今よりまだ幼かった日の憧れ、初めての失恋――そんな甘苦しい思い出ばかりではなかった。
 それは後悔と申し訳なさ。そして何より、アタシとアタシの父親を暖かく見守ってきた男を信じられなかった自分への強烈な自己嫌悪だった。そんなアタシが、仮に彼のことを好きだと思い続けていたとして、どうしてそれを口にできるだろう。
「でも、大切な人なんだろう?」
「そうだけど」
「だったら、約束して欲しいんだ。どんなことがあっても諦めないって。真奈ちゃんの気持ちは簡単には届かないかもしれないけど、それでも手を伸ばし続けることを諦めないって」
「どうして、向坂くんがそんなこと思うの?」
「――届かなかったから」
「えっ?」
「俺の手は正春に届かなかったから。そして、もう二度と届くことはないから。でも、真奈ちゃんの手は大切な人に届くところにある。……だから、諦めて欲しくない」
 
  
 村上への気持ちが恋愛感情へ変わっていくかどうかはアタシ自身にもよく分からなかった。それでも、そう思えるときが来たら自分に嘘はつかない――アタシはそう答えた。
 しかし、蓋を開けてみればアタシが自分の気持ちに真正面から向き合ったのは、由真の宣戦布告を受けてからの話だった。意気地無しもいいところだ。
「だから何?」
 素っ気なく言ったつもりだったが、どうしてもむくれているような感じになった。由真がアタシの頬を指先でちょんとつついた。
「真奈がホントの気持ちを話してくれたから、あたしもホントのことを教えてあげようかなって思って」
「本当のこと?」
「そう。村上恭吾が真奈のパパの罪を告発した後、その本当の経緯を真奈に話さなかった理由。ねえ、知りたくない?」