「Left Alone」第80章(2/3) | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】


 福岡ドームでアタシを待っていたのは新庄圭祐ではなかった。
「ボスが待ってるんじゃなかったの?」
「真打ちは後から登場するものさ。本命の相手じゃなくて申し訳ないが、しばらく我慢してくれたまえ」
 馬渡敬三はにこりともせずにエスティマの後部座席に乗り込んできた。ハルの失態で意味をなさなくなったアイマスクは勝手に外させてもらっていたが、それについて何か言うような素振りは見せなかった。
 馬渡が小声で指示するとエスティマはゆっくりと走り出した。一瞬、ハルが振り返って何か問いたげな顔をしたが何も言わなかった。さっきの失態でも思い出したのだろう。
「こんな目立つ所で待ち合わせなんて、ずいぶん度胸あるのね」
「目立つ?」
 馬渡は小さく鼻を鳴らした。
「冗談を言わんでくれ。ホームゲームでもない球場の駐車場に来る物好きがいるものか。見たまえ、がらんとしてるだろう」
 確かにフロントウインドウから見える光景はアタシが見知っているものとは違っていた。少し緑がかった無機質な光に満たされた空間は、地下駐車場のような密閉空間ではないのに何故か息苦しさを感じさせた。ドームの駐車場はスタンド部分の下をぐるりと周回できるようになったものが何層かになっていて、コンクリートの柱には現在地を示す表示が為されている。目の前の柱には”E-11”とあったが、それが具体的にドームのどの辺りになるのかは見当もつかない。
「さて、君をボスに会わせる前に、幾つか訊いておかなくてはならないことがある」
「ちょっと待って。アタシは別に会いたくないわよ」
「そうだろうが、今の自分がそんな贅沢が言える身分じゃないことくらい分かるだろう?」
「……まあね。人質も取られてることだし」
「――ふん」
 不意に馬渡が笑った。それは本当に微かなものだったが、まったく想像もしていなかったのでアタシは面食らった。
「何がおかしいのよ?」
「いや、君の腹の据わり具合に驚いてるのさ。この状況でおとなしくしてるのは人質がいるからで、強面の男三人に取り囲まれてるからじゃないと言うんだからな。大したボンド・ガールだ」
「……そういえばあんた、007ファンだったっけ。まさか、その顔でジェイムズ・ボンドを気取ってるなんて言わないでよね」
「顔の話だけするなら、確かにその資格はなかろうな。しかし、それ以外は割とボンド・スタイルを取り入れてるつもりだよ。私が若い頃は007映画はお洒落の見本でもあったんだ。安月給からカネを貯めてロレックスのサブマリーナ―を買ったこともある」
「ヤクザからカネを巻き上げて、の間違いじゃないの?」
 前の席から笑ったような気配がした。しかし、それは一瞬のうちに消え去った。
「他には?」
 アタシの問いに馬渡は怪訝そうな表情を浮かべた。
「ロレックス以外に何を買ったのかって訊いてんの」
「買ったわけではないが、装備課に掛け合ってこいつを回してもらったよ」
 そう言って馬渡がアタシの目の前にかざしたのは拳銃だった。
「ふうん、ワルサー・PPKか」
「……ほう、何故そうだと分かるんだね?」
「一つには映画で見たから。ボンドが持ってる拳銃よね。もう一つには前に付き合ってた彼氏がモデルガンのマニアだったから」
「彼氏……ああ、梅野浩二くんとか言ったか」
 驚きは何とか隠し通せた。
「公安課っていつから泥棒の真似事をするようになったの?」
「何のことだね?」
「あんたがそれを知ってる理由よ。上社さんの事務所からアタシの身上調査の書類を盗んだんでしょ。多分、前に乗ってる二人が彼を殺そうとして追い返されたときに」
 馬渡は答えずに笑みを深くしただけだった。ハルのような気色悪さも運転席の男のような目に見える威圧感もなかったが、それがかえって裏側にべったりと貼り付いている冷酷さを想像させた。目の前の男が吉塚和津実を無残な死に追いやったのだという事実をアタシは改めて実感していた。
「そういえば、上社氏は一命を取り留めたそうだな」
 ぽつりと放った一言はアタシに向けられたものではなく、前の二人への叱責だった。
「二人がかりで始末できんとはな」
「……申し訳ありません」
 口を開いたのはハルだった。運転席の男は押し黙ったままだ。
 エスティマは一度駐車場を出てドームの周辺らしき道を走っていた。目的があると言うよりは時間を潰すためにただ流しているという感じだ。おそらく、新庄との待ち合わせもドームの駐車場なのだろう。いつの間にか、ハルのお気に入りらしきヒップホップは鳴りを潜めていた。
「さて、そろそろ本題に入らせて貰おう。これを何処で手に入れた?」
 見せられたのは和津実と新庄の行為の真っ最中の写真だった。ヘッドボードにカメラを隠して撮ったものらしく、ベッドに横たわる豊満な身体に圧し掛かる新庄圭祐の獣じみた表情をしっかり捉えている。
「何処でって……和津実の実家よ」
「それはおかしい。君が千原家に辿りついたのは離れが火災に遭った以降だ」
「他人事みたいに言わないでよ。あんたたちが火をつけたくせに」
「そんなことはどうでもいい」
「嘘はついてないわ。本当に和津実の家にあったんだから。彼女の母親がその写真が入ったアルバムだけ自分の部屋に隠してたの」
「何の為に?」
「さあね。実の娘が買春していた証拠を他人に見られたくなかったからじゃないの?」
「……なるほどね。で、何故、君がそれを持っているんだね? 母親が君に渡したのか?」
「まさか。黙って借りてきたのよ」
「盗んだのか」
「そうとも言うわね」
「余計な事をしてくれたものだ」
「あんたたちにとってはそうかもね。でも、アタシが持ち出さなくても、いずれは明るみに出たんじゃないの」
「馬鹿なことを言うな。仮に吉塚和津実の両親が娘の死に不審を抱いていたとしても、この写真が日の目を見ることはなかった」
「どうしてそんなこと言えるのよ?」
「分からんかね? どこの母親が死んだ娘に売春婦の汚名を着せることを望むと言うんだ?」
 馬渡はしばらくアタシの顔を見据えていた。そして、思い出したような緩慢な動作でタバコに火をつけた。
「たとえ、警察が正式な手順を踏んで証拠としての提出を要求したとしても、母親は間違いなくそんなものはなかったと言うさ。賭けてもいい。それが親心ってものだ」
「……ふうん」
 百歩譲って馬渡の言うことが正しいのかもしれない。しかし、この男に親心を語られたくはなかった。