「Left Alone」第80章(1/3) | 『Go ahead,Make my day ! 』

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【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】


「Left Alone」第80章の前半です。
えーっと、今回から書庫と同時にこっちでもアップすることにしました。特に深い理由はないのですが、ブログ画面で見ないと長さのバランスがよく分からないもんで。
それとまあ、書庫の訪問者数が異常に少ないってのもありますが・・・。

合わせて、直近の章(76~79章)も更新情報の記事内で公開してます。

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 動きがあったのはおよそ三〇分後のことだった。
 騒がしくはないが数人の声がして、船に乗り込んでくるような気配がした。鉄と鉄がぶつかるような重い音も聞こえる。
 由真に気付かれないようにそっと溜息をついた。
「由真?」
「……ん?」
「ううん、何でもない」
「……変なの」
 ほんの少し持ち上げられた顔がことんとベッドに落ちた。
 アタシが現れたときこそ気力を取り戻したかのように見えたが、由真の衰弱の度合いはアタシの想像を超えていた。薬物を飲まされたり注射を打たれたりしなかったかと問い質しても、それすらはっきり分からないと言う。
 見た限りでは拉致されてからろくに水分を与えられていないことからくる脱水症状のように思えたが、それだって命の危険という点からすれば軽視できるようなことではない。
 そろそろ、アタシの居場所が上社に伝わっていてもいい頃だった。
 しかし、それらしき気配はまったくない。外洋に出ていて手が出せないというならともかく、船は港に停泊しているというにまったく何の動きもないというのは腑に落ちなかった。突入のタイミングでも計っているのだろうか。
「――おい」
 ドアが開いて顔を出したのはハルだった。
 のっそりとした動きの巨体が意外に小さな足音で近付いてきた。気づいた由真が身を固くする気配が伝わってきた。アタシは後ろ手に触れていた由真の手をぎゅっと握った。
「なに?」
「ボスが話があるそうだ。立て」
「ここじゃ駄目なの?」
「立て」
 ハルは無愛想に繰り返した。その物言いは父親譲りのアタシの反骨心をとことん刺激したが、迂闊なことを言うとアタシだけでなく由真に累が及ぶ。アタシは素直に立ちあがった。
「何処に連れていくの?」
「教える必要はねえ」
「あっ、そう。それはいいんだけど、この子に何か飲ませてあげてくれない?」
「そんなことしろとは言われてねえ」
「だから、頼んでるんじゃない」
 死んだ魚のようなドロリとした目がアタシを見据えた。
「このクソ暑いのに、あんたたちが水も飲ませずにほっとくから脱水症状起こしてるの。このままじゃ死んじゃうわ」
「俺には関係ねえよ」
「あるわ。由真はアタシに対する人質のはずよ。この子が死んだら、アタシはおとなしくしている理由がなくなる」
「……チッ」
 粘つくような視線がアタシの顔をジッと注がれた。
「ほらよ」
 ハルはポケットから取り出したペットボトルを由真の枕元に向かって無造作に放った。ペプシの青いラベルだった。由真は炭酸飲料の類をまったく飲まないが贅沢を言える状況でもない。
 アタシと違って由真は左手をベッド脇を通るパイプに繋がれているだけだった。由真は何とかキャップを捻ると、ほんの少しだけ啜るように液体を口に含んだ。
「じゃあ、行ってくるからね」
「真奈……」
 何か言おうとする由真に目配せして、アタシはハルの後に続いた。後ろ手では歩きにくいと言うとハルは手錠を前にかけ直した。
 甲板に出ると、潮の匂いがする生ぬるい夜気がゆったりと流れていた。監禁されていた部屋よりははるかにましだが不快なことには変わりない。
 造船所に停泊している船の甲板で人がうろうろしていたら人目につきそうなものだ。辺りを見回しながらアタシはそう思った。しかし、考えてみれば長浜の漁港周辺の中でもこの区画は夜になると人っ子一人いなくなる。荒津大橋から見下ろせば甲板上の動きが一目瞭然なのだろうが、生憎、都市高速は停車禁止だ。
 ハルがアタシの背後に立った。身体を摺り付けんばかりに近寄ってくる。
「ちょっと、暑苦しいんだけど」
「うっせえよ、このクソアマ。この前は舐めた真似しやがって」
「あんたなんか舐めた覚えないわ」
「言ってろ。今度はこの前みたいにはいかねえぞ」
 ハルの手がアタシの身体を抱き寄せた。リターンマッチを申し込むようなことを言いながら、こいつがやったのは手を伸ばして胸をまさぐることだった。アタシは怖気が走るのを懸命にこらえた。
「へへへ、楽しませて貰うぜ。ずっとお預けくらってたからな」
「そうでもないんじゃない?」
「はあ?」
「お昼に地下街からアタシを抱え出したのはあんたでしょ。女子トイレなんかに入ってきて、一歩間違えばただの変態よ」
 ハルは小さく吹き出した。
「まさか、あんなところでゴー・サインが出るとは思ってなかったからな。俺もびっくりしたし、こんなとこかよって思ったさ。一応、小芝居はしたが」
「小芝居?」
「友だちが急に気分が悪くなって倒れたんで誰か来て、ってな」
「トイレにアタシの様子を見に来た女が? っていうか、あんたたちの仲間には女もいるのね」
「仲間ってほどじゃない。ちょいと小遣いをやれば、あの程度の芝居をする女はいくらでもいるさ」
 何となくピンと来た。
「借金で首が回らない女とか?」
「そんなところだな。――おっと」
 ハルの携帯が鳴った。ポケットから取り出そうとして視線がアタシから逸れた。
 一瞬、金的を蹴り上げて逃げようかと思った。
 しかし、船が接岸している岸壁を見てアタシは考えを変えた。貨物船は岸にぴったりと着けられておらず、橋は人が行き来するときだけ台車に載った鉄製の階段をはしご車のように架けるようになっている。橋の袂には階段の移動に使うフォークリフトが停まっていて、見たことのない大柄な男が狭苦しい運転台に乗っていた。
 船と岸壁の間はざっと四メートル。甲板と陸の高低差はあっても二メートル。
 アタシ一人なら余裕で飛び越せるけれど由真を抱えては絶対に無理だ。仮に届いたとしても着地で間違いなく膝を壊す。一人で逃げて助けを呼んでくることができたとしても、その間で奴らは由真の場所を移してしまうだろう。そうなったら、今度こそ由真の身に何が起こるか分かったものではない。
「着けろ。――あ、俺です。今からそっち行きます」
 ハルがアイマスクを放った。反対の手には携帯電話を握っている。グローブのような分厚く大きな手の中のそれはスケール感を間違えた出来の悪い玩具にしか見えなかった。
 おとなしくアイマスクを着けた。その前にもう一度、辺りの様子を伺ってみた。相変わらず、助けが来るような気配は感じられない。
 ハルに手をひかれて階段を下りた。何といっているかは聞き取れなかったが短いやり取りがあって、フォークリフトが動く音がした。階段を外しているのだろう。
 しばらくそこで突っ立っていると車が近づいてくる音がした。
 すぐ近くにバックしてくるとスライドドアが開いた。無愛想に「乗れ」と言いながらハルが乱暴な手つきでアタシを押しやった。予想していないことではなかったのでシートに顔から倒れ込むような無様は晒さずに済んだ。
「ちょっと、レディのエスコートの仕方も知らないの?」
「うるさい」
 隣に乗り込んできてさっきの続きをされるのかと内心ウンザリしていたが、ハルは助手席に乗った。
「何処に行くの?」
「うるさい、黙ってろ」
 車はゆっくりと走り出した。BGMはよく分からないヒップホップ系で、ハルは曲に合わせて何やら鼻歌を歌っていた。運転している男は対照的に押し黙ったままだ。
 ゆっくりと様子を伺いながら、顔に触るふりをしてアイマスクをずらした。
 車はいわゆるワンボックスだった。断言はできないが立花とケン、ハルの三人が和津実のアパート前に現れたときに乗っていたエスティマのように思えた。後部座席の窓には黒いフィルムが貼ってあって外の様子は見えない。ルームミラーに映らないようにちらりとフロントウインドウを覗くと、ちょうど都市高速北天神ランプの料金所を通過したところだった。
 エスティマはそのまま大きく左に折れた。ということは向かっているのは西区方面。
「……おい、寝てんのか?」
 ハルが身を捩ってこっちを向こうとした。アタシは素早くアイマスクを元に戻した。
「この状況で寝られる訳ないでしょ」
「じゃあ、何でさっきから黙ってるんだ?」
「あんたが何度もうるさいって言ったからよ。電話鳴ってるわよ?」
 ハルの携帯がマナーモードで鳴っていた。ハルは小さく舌打ちして電話に出た。
「オオモリです。――分かりました。駐車場で待ってるんですね?」
 短い沈黙。
「もちろん、手なんかつけてないっすよ。――じゃあ、後で」
 電話を切る気配とほぼ同時に、今度は盛大な舌打ちが聞こえた。
「ドームの駐車場だそ――」
「おい」
 低い声がハルを遮った。短い沈黙があって、ハルは何かをごまかすように咳払いをした。
 アタシに目隠しをした意味はきれいさっぱり消え去っていた。長浜の港からこの短時間で行ける範囲にあるドームはヤフードーム以外にあり得ない。
「どれだけマヌケだ、貴様」
「……すんません」
「それに嘘つきだしね」
「何だと?」
「だってそうじゃない。手は出してませんなんて言って、さっき思いっきりアタシの胸揉んだくせに」
「ケッ、あんな貧相なモン、揉んだうちに入るか」
「悪かったわね。っていうか、あんた、オオモリっていうのね」
「……それがどうかしたか?」
「ピッタリな名前だなと思って。オカワリでもいいと思うけど」
 運転席の男が小さく吹いた。ハルは気色ばむような気配を向けたが、それ以上何も言わなかった。さっきの二人のやり取りからして”言えなかった”が正解かもしれないが。